サービス過剰につき
日本人はことさらにサービスを求める傾向にある。空港に降り立ったとき、驚いたのは、その案内掲示板の細かさであり、注意を促す放送の過剰さであり、空港職員達の精神病ともとれる神経症的に丁寧な対応だった。海外ではサービスにはチップを払う。僕自身、出国前には「チップなんて面倒くさいな」と思っていたのだが、滞在する中でその考えが180度転換することとなった。

チップというのはサービスに対する対価として、もっとも合理的なシステムである。レストランなどに入っても最初から「サービス料10%」なんてことは、勘定書には書かれていない。ウエイターはそのテーブルを一人が担当し、お客が満足しているかなどを確認しながら、フレンドリーなサービスを行う。その人間に対して感謝の意を表すために、客はチップを支払う。それは店ではなく、その個人の収入となる。だから、サービスには当然機械的なマニュアルなど存在しない。それぞれが工夫をこらして、どうやったらお客を満足させ、楽しませることが出来るかと言うことに、知恵を絞るのである。そして、サービスは自ずとその人間の能力となり、向上していく。人間的な関係がそこにはある。

では日本ではどうだろう。我々日本人はサービスを無料のものだと認識してきた。サービス料は店の収入となるものであり、ウエイターは情熱を傾けられるものではない。店はウエイターをマニュアルで管理するようになり、自然とウエイターにも店を向いた仕事が求められる。そこにあるのは、一見行き届いたサービスに思えるが、実のところ機械的で、無味乾燥な客に対する視点を失った形骸化された行為である。はたして、これをサービスと呼べるのであろうか?僕にははなはだ疑問である。

こういう一つ一つの日本的なシステムのあり方が、社会からどんどんと人間性というものを奪い去ってしまったように僕は感じている。子どもたちは、大人になることで、こうしたシステムの全てを身につける必要性を義務づけられている。ストレスだって当然増えるだろうし、自分をお客に評価して貰う基準すらない。これで、本当に仕事に情熱を燃やすことが出来るのであろうか?チップというのはお金だが、実は気持ちの問題である。出した方がいいし、出さなくてもかまわない。いくらという決めごとはあるようでないようなものだし、それはお客が決めることだ。少なくとも僕は、日本の手取り足取りのサービスは過剰だと思うし、それを無料として求めるお客の方もどうかしていると思う。
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by nakadachi2 | 2005-10-02 06:19 | TACT/FEST